皆さま、こんにちは。
古代ギリシャのアテネでは、ソフィストという弁論術を授ける職業があった。
というのも、アテネの民主政治の根幹は民会があり、市民権のあるものは、誰でも参加でき数千人の前で発言できたという…。
とはいえ、数千人の前で堂々と発言ができる人はいかほどにいたのか(ーー;)
ここで必要になるのが、言葉で聴衆を惹きつけ説得できるテクニックを教授できる存在、ソフィスト。
その筆頭がゴルギアスだ。
同時代の哲学者のソクラテスに比べるとソフィスト達の存在は薄いが、当時ソフィストが来るとなると大勢の聴衆が集まったらしい。
ゴルギアスは即興の弁論を展開することを得意とした。
ゴルギアス一私の中でかつてのヒットラーの演説を彷彿させる存在。
己の弁論術を宣伝するための著作の中に、言論を効用を薬に例えこう書かれてる。
病気を治す薬もあれば、命を断つ薬もある。
それと同じように、
「ある言論は苦しみを、別の言論は悦びを、また別の言論は恐れを与え、ある言論は聴衆を勇気に向かわせる」
そしてまた別の弁論は悪しき説明によって
「魂に呪いをかける」
言論は人を翻弄でき、感情をコントロールできる。
大事なのは、語る中身が正しいかどうかでない。私が語ることは真実だ、とみなに思わせる弁能力だ、とゴルギアスはのたまう…。
私は、思うに、今や動画配信も何が正しいのか正しくないかはさほど問題ではなくなっていると、『翻弄』される危機感を感じざるおえない。
ただ『翻弄』されるのはイヤだけれど、進んで『翻弄』されにいくのは、嫌いじゃないかな…。とプレジデントの片隅で、貴方様の言葉に、身体を『翻弄』されるのをひっそりとお待ちする白瀧でございます。(*´`*)
白瀧雅()