お母さまから電話がかかってきた
話は、母の健康診断の再検査の話から始まり
わたしより少し年上の親戚女の子の話になった。
わたしが、その子のことを
女の子と呼んでしまうのは、わたしが彼女と最後に会ったのは
はるか昔、中学生の頃だからだ
今、彼女がどんな大人になっているのかを
わたしは知らない
話は、わたしが小学生の頃まで遡る。
その親戚の女の子を
仮にみなみちゃんとしましょう
みなみちゃんが、高学年だった頃
わたしは、小学一年生でした。
みなみちゃんが、給食を運ぶために
わたしのクラスの廊下を通りかかった時
クラスのお友達数名から
わたしがいじめられていたのを目撃したそうなのですが
当時は、その光景が怖くて話せずにいたと
先日その話を、母に話してくれたそうなのです
わたし足にはなんとかなんとかと呼ばれる
赤い痣が、わりと大きくあるのですが
気味がわるいという理由で
小さい頃は、よくいじめを受けていたのでした
けれど当時わたしは、両親にその事について話す事をしませんでした
何故か?
単純に、わたしが傷付くと
両親が悲しむからです
わたしは、感受性が強く繊細だと言われる部類の人間ですが
自分が傷付くよりも
わたし以外の誰かが
わたしのように、傷付く事の方が
辛く苦しくて耐えられません
わたしは、すぐ泣くし
ウジウジしているけれど
昔から、痛みには強いので
みなみちゃんから聞いた話を話す母は
声を震わせて、はげしく泣いておりました
この事を聞いてから、一週間と少しの間
わたしに、この事を聞けなかったそうです
気付いてあげられなくて本当にごめんね
私達は、良い両親ではなかった
と彼女は、鼻を啜りながら言いました
えーーそんな事あったっけ?
そんな昔の事、全然記憶にないや
わたしは、いつもの変な声で答えました
本当は、それを聞いた時
わたしも泣いてしまいそうだった
でも、そうしたらお母さまが
もっと傷付いてしまうんじゃないかと
思ったから
唐突に
今、欲しいバッグの話をしました
そんな事よりも
新しいバッグを、買ってちょうだいって
やっと母が、薄く笑いました。
わたしは、わたしの痣の事を
あってよかったとは
全く、全然、ちっとも
思わないけれど笑
でもそれが、今のわたしの性格や物の考え方をつくっている
大切な要素だと思っているよ
心の底からね
何よりも
一切は、過ぎていきます。
お母さまには
もう泣かずに
ずっと健やかでいて欲しいなあと
切に願っています
お父さんが生きていたら
母になんて声をかけたのだろう?
この通話の後
仲良しさんからいただいた
辛い辛いガパオライスのソースで
ガパオライスを作りました
そういえば、辛さって痛覚で感じるから
痛みの一種なんだってね
やっぱりわたしは痛みには強いんだわ
辛くてとっても美味しかった
次はもう少し短く書くよ
長くなってしまって
ごめんね
またね