こんにちは?樹里です。
先日、かねてより楽しみにしていた『リア王』を観てまいりました。
歌舞伎×シェイクスピアという、贅沢極まるマリアージュ。胸を躍らせつつ着席。
まず心を奪われたのは、舞台に広がる世界の美しさでした?和の意匠で統一された舞台には、上品な静謐さだけではなく、時に息を呑むほどの迫力があります。衣裳も細部に至るまで豪奢で、鮮やかな色彩が舞台の上を行き交うさまは、それだけでも目に愉しいものでした。
けれど、観終えてから心に長く余韻を残したのは、やはりこの物語が描く「言葉」と「真意」についてでした。
耳に心地よい言葉をくれる人が、必ずしも自分を深く愛しているとは限りません。
長女ゴネリルと次女リーガンは、ある意味とても分かりやすい。父王リアが欲しがる言葉を惜しみなく差し出し、その愛情を華々しく語ってみせます?一方、末娘コーディリアは、口下手なのも相まって、姉たちのような甘い言葉を口にはしません。
けれど三姉妹のなかで、最も深く父を敬愛していたのは、おそらく彼女でした。人の真意というものは、言葉よりも行動のほうへ滲み出るものなのかもしれません?
とはいえ、私たちはそんな曖昧なものだけを信じきれるほど強くもない。愛されているなら、愛していると言ってほしい。大切なら、大切なのだと分かる形で示してほしい。目にも見えず、耳にも聞こえないものより、分かりやすい証を欲しがってしまう。それもまた人情ではありますが…
とりわけリア王は、そういう人だったのでしょう。王としては脆弱で愚かですらある。けれど「愛されていると確かめたい」という一点だけを見れば、とても可愛い人だと思います。
しかし威厳の王らしからぬその人間臭い弱さが、のちに悲劇の種となる。なんとも皮肉な話です。
個人的に、ひときわ心に残った場面もありました。
盲いた父の手を引いて、狂人を装ったエドガーが花道を去っていく場面。そこで、大好きな歌劇『リナルド』のオペラが流れました。ただでさえ胸を締めつけられる父子の姿に、美しい音楽まで重なってしまっては敵いません。抗いようもなく瞳が潤んでしまいました。
そして観劇前から大きな関心事だったのが、この物語をどのように終わらせるのか、ということ。『リア王』には、後世に悲劇性を和らげた改作も存在します。
けれど今回幕の向こうに残されたのは、原作通りの容赦のない悲劇でした。私はそれがとても嬉しかったのです。
救いはない。温かさもない。まるで冷たい冬の夜のような結末です。
それなのに途轍もなく美しい。胸の奥に細い傷をつけられたように痛む、それでいていつまでも触れていたくなる余韻が残りました。
悲劇を観て「悦かった」と思う。傍から見ればずいぶん奇妙なことかもしれません。けれど、美しく壊れてゆくものを最後まで見届け、その傷跡まで持ち帰る。
それもまた物語を味わう愉しみなのでしょう。心に快い爪痕を残される。
これはもう、まごうことなき快楽です。
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樹里